FACTFULNESS

「FCTFULLNESS」ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著 (日経BP社/2019/1/15)

賢い人ほど世界の真実を知らない

「賢い人ほど世界の真実を知らない」この本の帯にはそう書かれています。

冒頭の世界についての12問を解けばその言わんとしていることがわかるでしょう。(以下のリンクからその12問が解けます)

factquiz.chibicode.com

なぜ私達は賢い人でさえ世界について誤解しているのでしょうか?

それは人間の脳が進化する過程で備えた10個の本能がありのままの世界を見ることを阻害しているからです。

10個の本能とは以下の通りです。

1.分断本能

私達は何事もグループに分けたがります。

それも別れたグループの間には大きな溝があるかのように。

しかし、物事はそう単純ではありません。

例えば先進国と発展途上国という分類があります。

この分類は一部の裕福な国と、貧しい国が存在するような印象を与えると思います。

しかし実際は今や世界の75%の人々が中所得国で暮らしており、世界の全人口の85%は以前先進国と呼ばれた枠内にいて、途上国との間に残りの15%が入ります。

途上国と呼ばれる枠内にいるのは全人口のたった9%です。

つまりほとんどの人が実は中間層に当たるのです。

2.ネガティブ本能

ニュースを見ていると日々暗いニュースばかりが目につきます。

悲惨な殺人事件、不運な事故、過激派のテロ、先行き不透明な経済など例を挙げればきりがありません。

私達の住む世界はどんどん悪くなっている、そう思い込んでも無理はないでしょう。

しかし果たして事実はそうなのでしょうか?

極度の貧困率を例にとって考えてみましょう。

極度の貧困とは一日2ドル以下で生活する人々の割合です。

多くの人が極度の貧困と聞くと肋骨が浮き出た少年や、ハゲタカに囲まれた少女の写真を思い浮かべるのではないでしょうか。

そういった感情に訴えかける写真を見ると貧困は今も世にはびこっているように思えます。

しかし、事実はそれと異なります。

極度の貧困の中で暮らす人は20年前は世界の人口の29%だったのに対し2017年には9%まで落ち込んでいるのです。

その他にも様々な改善があります。

女子教育の割合の増加、予防接種の普及、環境保護などたくさんの例があります。

世界が良いものとなっていることは間違いありません。

メディアや美化された過去に惑わされずデータに基づいて世界を見るべきでしょう。

3.直線本能

私達はグラフを見るとその延長線上が直線であると予想しがちです。

しかしグラフは直線だけでなく様々な形を取りえます。

世界の人口は増え続けるかのように思われがちですが、実際は2100年も現在と大きく変わらないのです。

4.恐怖本能

テロや自然災害、殺人事件などのニュースを見ると大きな恐怖を感じ明日は我が身だと感じることがあります。

自分自身もイスラム国が頻繁にテロを起こしていた時海外に行くことを直感的に拒んでいた記憶があります。

そういったリスクは恐怖と相まって非常に大きなものに見えることでしょう。

しかし実際はどうなのでしょうか?

アメリカでは過去20年間に3172人がテロで亡くなりました。

同じ過去20年間で飲酒による殺人は低く見積もって年間7500人に登ります。

つまり飲酒した人により殺される確率はテロリストに殺される確率の50倍以上に登るのです。

要するに恐怖と絡んだリスクはそうでないものに比べて危険と捉えられやすいのです。

5.過大視本能

「世界中で420万人の赤ちゃんが亡くなっています。」

そう言われると私達は途方も無い数に驚き、そして悲しむでしょう。

しかし、1950年と比べるとどうでしょうか?

1950年には一年で1440万人の赤ちゃんが亡くなりました。

この2つの数字を比べると医療技術の向上に喜びすら感じられるでしょう。

このように数字を見る際には比較、割り算をすることでデータの本質を見抜けます。

6.パターン化本能

人間は何事もパターン化する傾向にあります。

これは生きる上で役に立つ傾向ですがときに弊害を生みます。

アフリカ問題を考える際に多くの人がアフリカの国々を貧しい国としてひとまとめにしがちです。

しかし、アフリカの中でも豊かな国もあれば貧しい国もあり、ひとまとめにできないのです。

誤ったパターン化を防ぐには分類自体を疑う必要があります。

7.宿命本能

自分の人生が運命や天命に定められていると信じている人はそう多くないでしょう。

しかし、国や宗教、文化は定まっていて不変だと感じてしまうことがあります。

しかしそれは大きな誤りです。

60年前のスウェーデンでは現在の日本と同じように亭主関白が多かったそうです。

スウェーデンが今では家事分業が当たり前の国であるだけに、この例は変わらない文化などないことを改めて認識させてくれます。

8.単純化本能

一つの理論や考えに固執するとしばしば間違いを犯すことがあります。

資本主義に傾倒したアメリカと社会主義に傾倒したキューバはどちらも大きな問題を抱えていることを考慮に入れると、結局はバランスを見極めケースバイケースで対応することが最善の策であると言えます。

9.犯人探し本能

何か悪いことがあったときに誰かのせいにしたくなったことは誰しもあるでしょう。

しかし、往々にして悪いのは個人ではなく仕組みのせいであることが多いです。

犯人を特定するとしばしば思考停止に陥るため、犯人探しが始まったら一旦落ち着いて他の原因を探るべきでしょう。

10.焦り本能

いつやるの?いまでしょ!という言葉が以前流行ったが、焦って行動することは冷静な判断を欠き誤った行動に導くかもしれません。

活動家はしばしばデータを誇張して我々の焦り本能に訴えかけ行動を促します。

しかし焦りをエネルギーとした運動は間違いを犯しかねません。

深呼吸をしデータを分析して、過激な行動に出ないよう注意する必要があります。

世界は良くなっている

以上の10個の本能を通して、世界をありのままに見た場合、世界は思ったより良くなっていることを痛感したことだと思います。

もちろん問題がすべて解決したわけではありません。

環境問題や難民問題など未だに様々な問題があります。

しかし、良いことと悪いことは併存するということを忘れてはなりません。

我々の本能を取り除き、データに基づいて改善されていること、問題が残っているところを正確に把握できれば現状を知ることができ、問題解決を容易にすることができるでしょう。

センスメイキング 本当に重要なものを見極める力

センスメイキング クリスチャン・マスビアウ著 (プレジデント社/2018/11/14)

センスメイキングとは

昨今、人間の立場が揺らいでいます。

AIやアルゴリズムによって非合理的で感情に左右される私達は仕事を奪われ脇に追いやられています。

しかしこんな時代に生きている我々だからこそ、人文科学に根ざした知識が必要です。

センスメイキングとは人文科学に根ざした実践的な知の技法であり、人間の意味のある違いに対する感受性を高めるものです。

人間の強み

世界を理解するためには人文科学に根ざした知識が欠かせません。

しかし、シリコンバレーの多くの経営者はこう言うでしょう。

「データがあれば十分だ」と。

確かにビッグデータを活用したアルゴリズムによる分析は以前に比べて遥かに物事を正確に分析できるようになりました。

しかし、それだけでは現実の世界を理解することはできません。

真に物事を見極めるためにはそういったデータと特定の人間が織りなす文化などの社会的文脈を読み取ることが必要です。

フォード社の高級車であるリンカーンが低迷していた時期を超えて、再び高級車市場でシェアを握るようになったのは膨大なデータを分析したからではなく、顧客の上質な乗車体験を顧客から聞き出しそれを彼らの文脈に沿って再現したためです。

ジョージ・ソロスが投資に成功するのは、優れた分析モデルを持つからではなく国家の思惑や人間の心理を読み解く能力があったからだと言われています。

世の多くの問題は殆どの場合明確な答えを持たず、特定の文脈に依存しています。

アルゴリズムは一般的な法則を解明することには長けているものの、文化や人間の感情といった特定の文脈を考慮することなく判断します。

まさにこの点において人間は存在する意義があると考えられます。

人間を人間たらしめるのは、個別の事例に対して特定の文脈に沿って柔軟に物事を判断できる能力であり、この強みを活かすことがテクノロジー全盛の時代を生き抜く鍵となるのではないでしょうか。

ホモデウス 下

「ホモデウス(下)」ユヴァル・ノア・ハラリ著 (河出書房新社/2018/9/6)

自由意志は存在しない

生物学者によると、生物は遺伝子やホルモン、ニューロンに支配されたアルゴリズムにすぎないと言われています。

そしてそれは人間も例外ではありません。

おそらく、ほとんどの人がそのような考えには直感的に反対すると思います。

「私達は自らの自由意志に従って行動しているのであり、他の動物や機械とは異なる」と。

しかしそれは誤っています。

脳スキャナーを使った実験によると、人間の脳内の決定を示す神経の活動は本人がその選択を自覚する数百ミリ秒から数秒前に始まるそうです。

つまり私達は、無意識的に欲望を感じ取ってそれに従って行動しているに過ぎないのであり、そこに自由な意思など存在しないのです。

人間はAIに取って代わられるのか

人間がアルゴリズムに過ぎないというなら、私達は高度な知能を持ったAIやアルゴリズムに代用されることになります。

しかしここで大きな疑問が生じます。

果たして人間は高度な知能を持ったアルゴリズムに代用可能なのでしょうか?

この問いに答える鍵となるのが人間の意識の存在です。

人間の行動や意思は環境圧や遺伝子など生化学的要素で決定されるが、それに伴う意識や感情は今のところ解明されていません。

なぜ人間は意識や感情を持つのでしょうか?

適切な判断を下すためには意識や感情は必要ありません。

自動運転は私達が運転するよりもはるかに正確に判断をし、走行するがそこに意識は介在しません。

むしろ意識や感情が妨げとなって適切な判断を下せなくなることもあるでしょう。

つまり、意識は合理的な判断を下すには不要なものだと言えます。

もし、高度な知能を持ったアルゴリズムが社会に普及したら、真っ先になくそうとするのは人間の心なのかもしれません。

アルゴリズムに対する人間の優位性

一見、非合理で不要なものに見える人間の意識ですが、ここに人間の、高度な知能を持ったアルゴリズムに対する優位性があります。

進路に悩みを抱えた友人から相談を受けた場面を想像してみましょう。

高度な知能を持ったアルゴリズムなら、膨大なデータから最適な進路を瞬時に判断し、提示することでしょう。

しかし、その友人はその答えを聞いて満足するでしょうか?

きっと不満を持つことだと思います。

往々にして人間が悩みを相談するときは答えだけではなく、共感やその決断に至るまでの過程に生じた感情に耳を傾けて欲しいからであることが多いです。

アルゴリズムは最適な結果にしか関心がなく、結果に至る過程や原因は示してくれません。

ましてや、非合理な感情に配慮することなどありません。

つまり、この点において人間は高度な知能を持ったアルゴリズムに勝るのです。

人と人との関係は非合理的で複雑な感情が入り混じっており、いくら高度な知能を持ったアルゴリズムでも理解することは難しいのです。

AIが人間の職を奪うことが危惧されていますが、結局、人と人とが関わる職は残り続けるであろうし、そこが人間に残された高度な知能を持ったアルゴリズムに対する唯一の聖域なのではないでしょうか。

ホモデウス 上

「ホモデウス(上)」ユヴァル・ノア・ハラリ著 (河出書房新社/2018/9/6)

人類の偉業

人類は何千年にも渡って飢饉、疫病、戦争を解決することに苦心してきました。

しかし、現代に住む我々はそのすべての問題を解決しつつあります。

もちろん、完全に解決したとは言い難いですが、それでも、100年前と比べたら世界はより良いものとなっていることは間違いないでしょう。

そこで、人類は新たな課題を必要としました。

そこで目標とされたのが不死、幸福、神性の獲得です。これらの目標に関してはホモデウス(下)で詳しく説明されています。

人類はなぜ地球の支配者となれたのか

そもそもなぜ人類は他の動物に対して支配的な地位を築けたのでしょうか?

それは、多くの人間同士を結びつける能力があったためです。

人間は共同主観的な物語を共有することで、他の動物では考えられない大規模な協力を可能とします。

人類は歴史上様々な虚構を生み出しました。

宗教、貨幣、国家、民族など様々のものが挙げられますが、我々もまたそういった虚構の中に生きていることは間違いありません。

それは人間がその虚構の中に人生の意味を見出すからです。

中世の人々が信仰に人生の意義を見出したように、私達もまた、現代においてお金を稼ぐことを生きがいにしている人を見れば虚構の中に生きていることを理解できるのではないでしょうか。

歴史における「虚構」

歴史を学んでいると、なぜそのようなことにその時代の人々は命をかけたのか疑問に思うことが多々あります。

宗教戦争や革命など枚挙に暇がありません。

しかしそれは、現代に生きる我々についても当てはまります。

なぜ私達は身を削ってまで働き、より多くの収入を得ようとするのでしょうか?

日本では働かなくても生活保護などで生きることは可能であるにもかかわらずです。

その理由は社会的に良いことだと信じられているからです。

身近なところでは、学生は若く最も活力に満ちた時間の多くを机の前で無駄にして過ごします。

それは勉強することは良いことであり、学歴を得ることは社会で生きる上で有利になると周りに教えられたからです。

そして実際に学歴を得た人間が制度を作る側に回ることで、まるでそれが客観的事実かのように社会が変容していきます。

しかし、そこにはなんら客観的事実は含まれていません。

実際、学歴の有無は既存の評価制度にうまく適応できたかどうかが重要なのであり、頭の良し悪しはあまり関係ありません。

それに学歴がなくても社会的に成功する人は世の中にごまんといます。

私達もまた社会が作り出した虚構に踊らされているのです。

歴史を学ぶ意義

それでは、我々は社会の虚構とどう向き合えばいいのでしょうか。

歴史を学ぶ意義がそこにあると考えられます。

歴史を学ぶということは、ある時代に虚構が作られ、またそれが違う時代に壊されていく過程を眺め、ある時代の人にとって最も重要に見える事柄が、子孫にとっては全く無意味になることを理解することです。

私達自身のことを知るためにはこの世界に意味を与えている虚構を読み解く必要があるのです。

サピエンス全史 下

「サピエンス全史(下)」ユヴァル・ノア・ハラリ著 (河出書房新社/2016/9/8)

種の繁栄か、個の幸福か

私達人類は何千年にも渡って地球を支配し、種としては間違いなく繁栄に成功したと言えるでしょう。

しかし、個人としてはどうでしょうか?

もちろん、生活の質は間違いなく向上したし、病気や飢餓といった苦しみを大幅に減らすことができたのは間違いありません。

しかし、幸福という観点から見ると話は違ってくると思います。

最近の研究結果によると、富はある水準までは実際に幸福をもたらすそうです。これは想像に難くないと思います。

しかし、それ以上に家族やコミュニティが幸福度に大きく影響しているということは特筆すべきことだと思います。ただ、私達は過去の人々に比べて個人として絶大な自由を獲得しており、私達は自分の進路を社会に強制されることはないし、階級によって身分が固定化されることもない一方、それゆえに共同体の結びつきが弱くなっています。そのため、多くの人が疎外感を感じたりと、一概に人間が幸福になったとは言えないようです。

また、幸福に関する最も重要な発見は幸福は客観的な条件(富や健康など)のみには大きく左右されず、客観的条件と主観的な期待によって決まるというものです。

確かに私達が過去の人々とは比べ物にならないくらい豊かなのに、どこか満たされないのは周囲により豊かな人がいるためであり、自らもその豊かさを享受することを期待するからだと考えられます。

幸福とは快楽の追求なのか

化学的な観点からみると、幸福は単なる脳の電気信号やホルモンのやりとりであり、それ以上でもそれ以下でもないとされています。

しかし、このような考えは幸福を快楽の追求としかみていないと批判することができます。

母親が苦痛でしかない子育てをしているにもかかわらず子供を幸福の源泉と答えるのは、やはり幸福は快楽の追求だけによるものではないことを物語っています。

むしろ、幸福を感じるのは自らの人生に意義があると感じられる時ではないでしょうか?

そう考えれば、中世のキリスト教徒たちが神の存在を信じ、来世に期待し苦行に耐えるといった行動も理解できます。

それでは現代において中世のキリスト教のように人生に意義を与えてくれる物語はなんでしょうか?

消費主義であれ個人主義であれなんにせよ、それは個人の価値観や所属する社会によって異なると考えられます。

仏教の教え

以上のように主観的厚生を計測する場合幸福は主観的感情と同一視されます。

しかし、幸福の追求に対する仏教の教えはこれとは異なるものです。

仏教の教えはでは特定の感情を求め続けることは苦しみの根源であるとされています。

つまり幸福を追求することもまた苦しみを生むことになるため、我々は内なる感情を追求することをやめなければならないということです。

ひょっとすると、もはや私達は幸福を追求する必要などないのかもしれません。

これからは、私達は幸福を追求するのではなく、自分の欲望と向き合いながら流れに身を任せて生きるという選択も人生の選択肢の一つとして考えられるのではないでしょうか。

サピエンス全史 上

「サピエンス全史(上)」ユヴァル・ノア・ハラリ著 (河出書房新社/2016/9/8)

虚構とは

現生人類の直接の先祖である、サピエンスが他の人類や生物を支配し地球を支配するようになったのはなぜでしょうか。

それは人類が虚構を生み出し、それを信じ協力することができたためです。

虚構とは人間の想像上の産物であり、共同主観的なもの、簡単に言えばみんなが一緒になって信じているものです。

例として代表的なものとしてお金があげられます。

紙幣を想像するとわかりやすいのですが、お金はみんなが価値があると信じているために価値を持つのであり、それ自体には価値がないことは明らかです。

人類が抱える苦悩

初期のサピエンスは狩猟をして暮らしていたが、特定の地域で農業革命が起こり、人口は激増しました。

そこで人類は食料に困らなくなり、生活は楽になったかのように思えました。

しかし、農業革命は人類最大の詐欺だったと言えます。

農業革命は一部のエリートを生み、農民の殆どはギリギリの生活をすることになりました。

そしてその不幸は今日まで同じような形で続いています。

現代の社会においても、私達は一部のエリートになるためにいい会社に入っていい生活をするために勉強をさせられ、そしていい会社に無事入れたら、次はそこで昇進するために身を粉にして働くことが一般的に良いことだと信じられています。

しかし、ほとんどの人は、楽をするために努力するのに一向に生活は楽になることはありません。

それは、生活水準が上がるのに伴って家や車、伴侶、子供など多くのものを抱え、いくつになっても余裕ができないためです。

また、エリートになれなかった人は多くの人が労働環境が良いとは言えない職場で長時間の労働を強いられ、休日は娯楽に耽り生涯を終えます。

幸福の追求

人類は農業革命以降、種としてみれば間違いなく繁栄することに成功しました。

しかし、個の視点に立てばどうでしょうか?

私達は狩猟民族時代に比べて遥かに便利な暮らしをしているのに、彼らに比べて圧倒的に自由な時間は少ない上に、何倍もの時間を労働に費やしています。

もしかしたら私達は種の繁栄を促し、個人の幸福を阻害する虚構を取り除かなければならないのかもしれません。

そのためには、現代の社会でどういったことが虚構として幅を利かせているのかを知り、それに代わるよりよい物語を構築する必要があると考えられます。

武器としてのITスキルを読んで

「武器としてのITスキル」グロービス経営大学院著 (東洋経済新報社/2018/4/20)ビジネススクールで教えている武器としてのITスキル [ グロービス経営大学院 ]楽天で購入

ITスキルの必要性

近年、時価総額が高い企業はGAFAを筆頭にIT企業が多くを占めています。

そのため、社会の第一線で活躍するためには、この本の題名の通り、ITの素養が必要な時代になってきています。

自分自身、文系で学校ではこういったスキルは学ばないので積極的にみずから学ぶ必要性を感じています。

コンピューターを使った問題解決

まず、コンピュータを使った問題解決をする際には問題設定をする必要があります。

そもそも問題を設定するのは100%人間の役割であり、そこを誤れば問題は解決できません。

そして次に、よいアルゴリズムを構築する必要があります。アルゴリズムとはコンピュータを利用して課題解決するための処理手順のことであり、よいアルゴリズムとは計算量が少なく、結果として短い時間で計算できるアルゴリズムのことです。

そして、そのアルゴリズムを表現するためにプログラミングを学ぶ必要があります。

また、どういったデータを用いるかについても人間の技量に依存しています。そのため、データを読み、解釈するために統計学を学ぶのが有用であると考えられます。

まとめ

結局、どんなにAIやコンピュータが発達してもどういった問題を解決するか、そのためにどういったデータを用いるかは人間の仕事であり、その素養を持つことがこれからのIT全盛の時代を生き抜くスキルであると言えます。ビジネススクールで教えている武器としてのITスキル [ グロービス経営大学院 ]楽天で購入