隷属への道

「隷属への道」フリードリヒ・フォン・ハイエク

第二次世界大戦が起きる前、ハイエクは当時幅を効かせていたドイツやソ連反自由主義的な体制を危惧して、この本を書きました。

この本はイギリスやアメリカのような国でも簡単に全体主義に陥る危険があり、それは革命によるものではなく、経済の組織化を推進しようとする善意の人々によるものであるという、衝撃的な警告を発するものでした。

この警告は現代の社会情勢の核心をついていると思います。

なぜなら、今のアメリカは自国の産業を守るために保護貿易化する傾向にあり、従来のように自由貿易を推進しようとはしていないからです。

そのため、ハイエクの主張を学ぶことは現代の世界情勢がどこに向かうのかを考える手がかりとなると思います。

計画経済が孕む問題

歴史を遡ると、経済的自由が拡大するにつれてより多くの政治的自由が獲得されています。

例えばイギリスで労働者まで選挙権が拡大したのは、産業革命により大量の労働者階級が現れ彼らの地位が向上したためです。

そしてイギリスでは政治的自由が拡大するにつれて、国力が増していきました。

大英帝国が世界を支配していた20世紀の国際情勢を見れば明らかだと思います。

しかし、自由主義の成功そのものがその衰退の土台となったとハイエクは主張しています。

自由主義は多くの国を発展させたましたが、豊かになればなるほど野心と欲求が高まり既存の体制ではだめだと批判されるようになりました。

今の私達の周りでも、10年前よりも豊かなのは間違いないのに政治や経済に対する不満が絶えないのを見ればこの主張は理解できると思います。

そこで、この経済的問題を解決するために国家が介入することを人々が願うようになります。

しかし、国家の介入を許すということは必然的に自己決定の幅を狭めることを意味します。

計画経済の擁護者はしばしば、国家が介入するのは経済的な側面だけであると主張します。

しかし、人間にとって経済的努力は人生の大きな目標を達成するため、またはある価値観を体現するための根本的な手段です。

それが制限されるということは、人々の人生の大きな意義を奪うということに繋がり、結局は国家の名のもとに個人の幸福よりも国家の利益が優先されることになります。

また、計画経済は政府が経済活動を主導する、つまり中央集権的な経済体制だと言えます。

しかし、冷静に考えてグローバルな経済活動のすべてを政府が管理できるとは考えられません。

そのため、ソ連を見ればわかると思いますが、たいてい何らかの経済的問題が引き起こされます。

自由と経済的保障

自由主義的な経済体制の中では、競争原理が働きます。

競争経済下では、解雇される可能性や仕事が技術革新によって無くなる可能性を常にはらんでいるため、自分の雇用価値を高めるために職業訓練を受けたり勉強したりする動機はかなり強くなります。

みなさんが必死に受験勉強をしたり、スキルを身に着けようとするのも日本がある程度自由主義的で、その努力が価値を生むからです。

このように、個人が必死に雇用価値を高めようとすれば、社会全体の生産性も上がることは想像に難くないと思います。

もし、経済的保障が自由より大事だとみなされた場合、上記のようなメリットはすべて失われます。

自分がやる仕事の価値が、個人の努力や技術ではなく国家にとってどの程度重要かによって決まるなら、誰も努力しなくなるでしょう。

ここに、自由を制限する大きなデメリットがあると思います。

健全な経済とは

もちろん、完全に自由主義を信仰すれば問題が解決するとは限りません。

数十年前のアメリカの自由主義を推進する政策によって大きな格差が生まれたことは周知の事実だと思います。

しかし、だからといって自由主義というシステム自体を革新しようとすることは得策ではありません。

ハイエクも極端な困窮からの保護は必要だが、経済的安定が社会の基本的価値観としての自由を抑圧するべきではないと考えています。

つまり、重要なのは自由主義というシステムの中で弱者のためにセーフティネットを維持しつつ、健全な競争を促進する仕組みを構築することだと考えられます。