全体主義の起源

全体主義の起源ハンナ・アーレント

第二次世界大戦は人類史上最も悲惨な戦争でした。

その直接的原因となったのがヒトラーを総統とするナチススターリン体制下のソ連です。

本書において、アーレントはこの両国は政治体制は異なるものの、全体主義という一つのコインの表裏であると分析しています。

これらの人類の負の遺産とも言える考えを学ぶことは、同じ過ちを繰り返さないために絶対に必要なことだと思います。

また、全体主義に似た状況が実は身の回りに溢れていることが、この本を読めばわかると思います。

全体主義とは

全体主義のもとでは、個人の幸福や利益は無視され国家の名のもとにすべての国家的犯罪が正当化されます。

また、人々は国家に忠誠を尽くすことを強要され、思想、良心の自由は制限されます。

さらに、上述したように全体主義運動は様々な体制を取り、ナチズムは人種の名において大衆を組織化し、スターリン体制下では階級を重視しました。

要するに全体主義は、国民の思想を統制したり、敵を作る(ナチズムではユダヤ人、ソ連では資本主義または資本家)ことにより国を団結させようとするものであり、そのためなら粛清や虐殺も厭わないという思想のもとに成り立っています。

身近に潜む全体主義

ここまで読んで全体主義はなんだか恐ろしいなと感じたと思います。

しかし、全体主義は過去の産物ではなく私達の身近にも似たようなものが存在していると思われます。

例えば、ブラック企業をイメージしてもらえるとわかりやすいかと思います。

ブラック企業では会社に忠誠を誓い、個人の福利厚生は無視されます。

また、全体主義的な組織で生き延びるには周囲の誰よりも忠誠心と態度において過激でいること(定時に帰ることを許さない雰囲気とか?)、そして全体主義体制を持続させるには個人的な生活を排除することが肝だと言われています。

 

もちろんブラック企業ほど酷くなくとも、組織に所属する以上、程度の差はあれ個人よりも組織の利益が優先される状況に陥ることはあるかと思います。

個人の権利を守るために何をすればいいのか。そのヒントがアーレントが述べた全体主義からの脱却方法にあると思います。

全体主義からの脱却

全体主義的指導者は国民の思考を支配しようとします。

これはどの全体主義的組織においても共通しています。

そのため組織に対して、思考を支配されないためにはどうすればよいのかを考える必要があります。

最も有効だと考えられるのが多様な情報を受け入れるということです。(当然のようだが、早いうちに意識しておかないと思考力が低下して詰む)

現代社会で、独裁体制が敷きにくくなったのはSNSの普及などによって外部の情報が受け取りやすくなり、国民を思想的に支配することが難しくなったことも一つの要因としてあると思います。

同様に、今まで問題となっていなかった劣悪な労働体制が顕在化し始めたのも、組織の外の情報がインターネットにより可視化されたためだと考えられます。

つまり、私達が組織の価値観に固執せず、様々な価値観を受け入れることができれば特定の組織に思考を支配されることは少なくなるかと思います。(言うは易し、ですが)

 

何れにせよ歴史の教訓から学んで、一つの価値観に固執しないこと、そして積極的に自分が所属している組織の外の世界を見ることはこれまでも、これからも大切にしていきたいと改めて思いました。